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秘密
関根健人
淡紫の残映を弱めて客車が停まった 「声のない映画ばかりみるの」という姉はきまって早口になった 詮なく銀杏の葉が散る時季にだけ 瞬きにながされ 古びた図書館は在るのだという 煉瓦造り旧館の二階 円型のボックスにあさく腰かけ 黒くか細いヘッドフォンをかけながらみる ふるいフィルムを好んでいた 姉は年に一度だけ その坂のおおい港町を訪れるのだった うしろに聳える山なみは 白銀の肋骨を溶かしていた (空気遠近法のように、まだ四時間もねむれる) 姉のいう活動写真の 浮かびあがらせるように 二等客車の窓際 ひっつめにした琥珀色のうなじが 幽かにカーヴしつつも屹立していたのは ダークブルーのブラウスから ペールブルーのカーデガンの深浅の間に 今あたらしい微熱の繊維がうまれ おくれ毛 にこ毛につぶをまぶした 彼女のもつ文庫本の頁を 剥いていた十のゆびだけが凍みている 灯浮標すかして 海沿いの駅舎への到着をしらせるアナウンスが流れた 蜜をあつめる蜂を真似て星星の暗がりに下った 水の音に幾重にも敲かれ ふと鎮花のように雪を体温にとめてみたかった ふたしかな水平線に濡れすなどる記憶の裾が 脛におもく滴ってくるのが分かった ひかりの玉の列がとおく疼き わたしの顔を隠してしまったように 沖からもうひとりの声が、する (——だれ?) 港からはいつのまにか帆船が出て 皆髪のながい巡礼者の 峩々とした後ろ姿が交じって 遠巻きになりながらも 媼たちにも見え いつから白髪になったのかと訝しんだ (どれほどながくいきたの)と沈滞するように感じていた 奪う歳月が凝りかたまって 獣を象り浜に駆けた 「塩は毒にもなるからね」と蛋白石いろの羚羊がいって わたしを山へと引き揚げ秋薔薇の霧で喉を冷やした 「けっして懐手をしてはいけないよ 爪をみせるんだ」と双角が忠告した (まだ四時間も、ねむれる)という 姉という幻燈 バロック調の旧図書館には未だ幼い姉妹が 製本の糊付けを手伝っていた ふたりとも漆黒のヴェルヴェットワンピースで 対比するような真白い前掛けをしていた 揃えた前髪をのぞいて髪を梳くこともなく 簪やヴァレッタや 花鬘をつけることもしなかった かわりに蔵書票をしきりに交換しあった 姉のものは専ら灯台が刷られており 妹のものは凪だった 大理石からなる二重螺旋の階段を一本ずつ有し 互いに昇降をくりかえして軟らかく接吻をしてわたすたびに 彼女たちはいろを識別する力を喪っていった (声のない、映画をみる) もう かえって水晶質の文字たちは 嬉しそうに墨のかがやきを際立たせる 各各右の腋窩には 季節のことなる星図をやどしていたが 鏡はとうに割れ尽くしてしまっていたから 彼女たちはその星座を凍みたゆびで教え合うしかなかった 暦はむぎのようにふくらんでは また姉妹のひかがみに皺をひとつずつとってふくませた 姉は一層低いオクターヴの体臭をわすれた
