峯澤典子「螢」の冒頭および末尾について
峯澤典子の詩篇「螢」は以下のように始まる。
あなたはどこにおいでなのでしょうか。
峯澤典子「螢」
ひとつ。またひとつ。
ひとつ。またひとつ。
ひかる姿を川面に映しては消え、まだ生きていることを仲間に教えあうようにふたたび瞬く。あの真夜中の火の集まりはまぼろしだったのでしょうか。
また、末尾も
あなたはどこにおいでなのでしょうか。
峯澤典子「螢」
という、畳句(ルフラン)でとじられている。
一読して、興奮に震えた。
同じように始まり、とじられる小説を知っていたからだった。
川端康成「反橋」連作とは
あなたはどこにおいでなのでしょうか。
川端康成「反橋」(昭23.10)冒頭
仏は常にいませども現ならぬぞ哀れなる、人の音せぬ暁にほのか見え給ふ。——この春大阪へ行きました時住吉の宿で、梁塵秘抄のこの歌を書いている友人須山の色紙を見ました。須山が梁塵秘抄を読んでいることさえ少し思いがけないのに、この歌をそらんじていて旅の宿で出された色紙に書いたということはもっと思いがけないようでありました。須山は淀の競馬に行った時泊ったと宿の人に聞きました。須山がなくなる前の年にあたるようであります。
川端康成「反橋」連作とは、戦後すぐに発表された一連の作品群——すなわち、「反橋」(昭23.10)、「しぐれ」(昭24.1)、「住吉」(昭24.4)を指す。くわえて、生前最後に発表された短篇「隅田川」(昭46.11)も「反橋」連作の一つとされる。
掌編とも呼べるような、書き散らしたような印象さえ受ける作品群が連作と呼ばれる所以は、内容も然ることながら、冒頭と末尾が「あなたはどこにおいでなのでしょうか。」という一文に統一されていることにある。
しかし欄干につかまりながらその穴を足だよりにのぼってみますと、穴から穴は少し遠くて五つの子供の足ではとどきそうにもありません。反橋をおりきったところで私は深いためいきを吐いて、私の生涯にもこの穴のような足場はあったのかしらと思いましたが、遠いかなしみとおとろえとで目先が暗くなりそうなのをどうすることも出来ませんでした。
川端康成「反橋」(昭23.10)末尾
あなたはどこにおいでなのでしょうか。
ただし、二〇年以上隔たりがある「隅田川」においては、このような呼びかけによって作品がひらき、末尾で繰り返されることなく終わっている。
そんな私がまったくそっくりの双生児の娼婦にめぐりあう日があったのでありました。それも今はむかしとなりました。
川端康成「隅田川」(昭46.11)末尾
川端康成と『源氏物語』——母子を巡る物語について
もう少し深堀りしてみたい。
戦争中に私は東京へ往復の電車と燈火管制の寝床とで昔の「湖月抄本源氏物語」を読んだ。暗い燈や揺れる車で小さい活字を読むのは目に悪いから思いついた。またいささか時勢には反抗する皮肉もまじっていた。横須賀線も次第に戦時色が強まって来るなかで、王朝の恋物語を古い木版本で読んでいるのはおかしいが、私の時代錯誤に気づく乗客はないようだった。〔……〕
川端康成「哀愁」(昭47.10)
戦時中、川端が『源氏物語』に慣れ親しんだことは有名である。これは、戦後すぐ発表された「反橋」連作にも少なからず影響を与えているとされる。わずかながら、「住吉」には以下のような箇所が存在する。
この琴の音もまったく月並みでありますのは、住吉物語そのもののが源氏の蛍の巻の物語論に、継母の腹ぎたなき昔物語も多かるを、というその継子伝説の無気力な類型らしいのと同じでありましょうが、あの源氏物語のあんなに多くの主要人物がほとんどすべて孤児、少なくとも片親のない人達、この驚くべきことから考えてみましても、私は住吉物語を読みながら実は多くの継母の昔物語を読んでいると思えますように、〔……〕
川端康成「住吉」(昭24.4)
『源氏物語』は、色好みの光源氏が様々な女性と関係を持つ、恋物語として読まれることもしばしばあるが、“手に入れることのできないものを求めざるを得ない男のむなしさ、かなしみ”を描いたところに、『源氏物語』の深みがある。一つには、位(光源氏は臣籍降下のため、いくら望んでも天皇になることができない)で、もう一つは、母である。
光源氏は幼少期に母である桐壺の更衣を亡くす。その後も、天皇の妃である藤壺をはじめとして、源氏は“紫のゆかり”の女性に母の面影を求めるものの、自分の手で育てあげた紫の上でさえ、最後にはすれ違いに終ってしまう。
作中にあらわれる多種多様に描かれる光源氏の恋とは、母なるものへの、思慕する心の変奏(あるいは代替)とも言える。
川端も、自身を「天涯孤独」と執拗に形容するように、はやくから肉親にわかれた。若き日の初恋がやぶれたことも含め、川端の書く小説には常に孤独、その核から照射される他者との関係性の問題がつきまとい、様々なものを媒介にしてたち現れる。例えば、戦前の「抒情歌」「死者の書」等におけるオカルティズムや、戦後における「魔(界)」などが、それである。
「反橋」連作においては、後述する「住吉」の、継母への恋愛的嫉妬というような恐ろしい描写が、『源氏物語』的変奏と捉えられるのではないだろうか。
母は十七で嫁になりました。生れて八月、数え年二歳の私を引き取ってくれた時、母は十八でありました。昔では早婚というわけではありませんし、幼い私は母が若いとも思わなかったのですが、ものごごろついて後には母の早い結婚によこしまな嫉妬をおぼえました。私が十七より下の少女を幾人かおかすようなことになりましたのも、この嫉妬のなせるわざであったかとも疑われます。
川端康成「住吉」(昭24.4)
ここで強調しておきたいことは、フェミニズム的観点からも川端文学の反倫理的な面は批判の対象になって然るべきだ、ということだ。
しかしながら川端の作品を綜合的に見て、おそらく反倫理的なものを快楽的に書いているわけではないという点と、これをとおして川端がなにを描きたかったか、あるいは描かざるを得なかったのかという点を、取りこぼしてはいけないようにも個人的には考える。
川端康成「反橋」「住吉」について——不在者という幻想
母の言葉ははっきりおぼえておりません。母は私のほんとうの母ではないと言ったのでありました。私は母の姉の子で、その私のほんとうの母はこのあいだ死んだと言ったのです。〔……〕
〔……〕私の生涯はこの時に狂ったのでありました。
私の出生が尋常なものではあるまい、生みの母の死が自然なものではあるまいと、やがて疑い出すようになりましたのもしかたのないことでありました。
川端康成「反橋」(昭23.10)
川端文学における“不在者”は、母に限るものではない。
しかしながら「あなたはどこにおいでなのでしょうか。」と繰り返される「反橋」連作においては、語り手である「私」と実母、くわえて継母の関係性が作品の主軸となる。
〔……〕四作を貫いている一筋のものは、生みの母を知らぬまますでに五十歳代に達している「私」の、「母」なるものへのはて知らぬ旅心であろう。五歳の「私」が母に連れられて、うぶすな神である住吉神社の反橋に立つ時、それまで母であることを疑ってもみなかったひとが、突然自分は実の母ではなく、その妹で、ほんとうの母はこの間死んだと「私」に言い聞かせる。
竹西寛子「解説 「母」なるものへの旅心」(平4.9)
「反橋」連作は、「もはや生にやぶれ果て死も近いと思われる」「私」によって語られ、東西様々な(古)美術と、それをとおして思い出される記憶を織り交ぜながら進行していく。友人の須山と双生児の娼婦の挿話が描かれる「しぐれ」を経由して、継子いじめの物語である『住吉物語』について語られる「住吉」へと連結する。
奈良絵本の住吉物語を見せて継子いじめの話を聞かせてくれました母は実は私の継母なのでありましたが、〔……〕
川端康成「住吉」(昭24.4)
住吉物語の「原(もと)の姿」は「鎌倉時代にもすでに見られなかった」とされ、現存するつまらない「鎌倉時代から伝わる住吉物語よりも母の話してくれた住吉物語の方が、もっと古いように思われてなりませんでした」と語る。
このように型を追って芸のない原文が私になにか生き生きと感じられますのは、その向こうに母の話声が聞えて来るからでありましょう。私には母の住吉物語が先にあって、その母の言葉を住吉物語が後に書きうつしたように思えてなりません。この下手な聞き書き、あら筋のような書きつづめから、原の母の話の美しさをなつかしがるという風であります。こうして私は住吉物語のつまらなさ、また幻滅にさからおうとするのでありましょう。
川端康成「住吉」(昭24.4)
住吉物語を読む私に母の声が聞こえましたのも、遠い王朝から流れて来るような母の声が聞こえましたのも、不思議なことではありますまい。
川端康成「住吉」(昭24.4)
「私」の態度は、ここに極まる。
すなわち、現実(実際の、住吉物語のつまらなさ)を忌避して、不在者(=母なるもの)への甘い感傷のなかに閉じこもろうとする態度である。ある種の倒錯とも言える。この力学のなかでは、現実は媒介者に過ぎず、対象の不在・喪失こそがむしろ、それ自身の価値を高める。
美術品では古いものほど生き生きと強い新しさのあるのは言うまでもないことでありまして、私は古いものを見るたびに人間が過去へ失って来た多くのもの、現在は失われている多くのものを知るのでありますが、それを見ているあいだは過去へ失った人間の生命がよみがえって自分のうちに流れるような思いもいたします。
川端康成「反橋」(昭23.11)
「反橋」の序盤にこのように書かれている古美術への態度は、さらに古美術を経由して“母なるもの”への追憶に接続され、「私」を生かすのである。
