「隅田川」について——双子、あるいは姉妹の物語
住吉物語の継子いじめの話とおなじように隅田川の話も、幼いころ、母が聞かせてくれた話の一つでありました。うちにある奈良絵本の住吉物語を見せながらとはちがって、隅田川では絵本もなく様本も見せないで母は話しました。
川端康成「隅田川」(昭46.11)
川端文学において、“双子の姉妹”というモチーフはたびたび登場する。
もっとも有名なのは、『古都』(昭37.6)の千重子と苗子であろうが、ほかにも『雪国』(完結本:昭23.12)の駒子—葉子は、血が繋がった双子というわけではないものの、明らかに双子的なものとしてあらわされている。
住吉物語の住吉には母の思い出があります。隅田川の隅田川の岸には娼婦の思い出があります。
川端康成「隅田川」(昭46.11)
二○年以上の歳月を隔て書き継がれた「隅田川」においては、謡曲「隅田川」を媒体として、「しぐれ」で登場した双生児の娼婦について再び追憶がなされ、最後は実母と継母についての描写で締めくくられる。
母はきれいでした。その母に母の姉、つまり私の産みの母が似ているのか、そっくり似ているか、これは幼い私の切に知りたいことでありました。〔……〕
川端康成「隅田川」(昭46.11)
写真を探す「私」に、「嫉妬。お母さんがお姉さんにやきもちをやいたから」、写真は「やぶいて捨てた」と継母は告げる。以下、「隅田川」の末尾まで引用する。
「似ていたの?」
川端康成「隅田川」(昭46.11)
「似てない。ほんとうに、おかしいほど、お母さんはお姉さんにちっとも似ていないのよ。」と母は息を休めてから、
「行平ちゃんもお姉さんには似ていないわ。行平ちゃんは、お父さまの方に似ているわね。そうでしょう。」
母は嘘を言っています。私が父に似ていないのは、幼いながら知っていました。私は父よりもむしろ母、育ての母に似ていると思っていました。そうすると産みの母は育ての母に似ているということにならないでしょうか。母の実家にはきっと産みの母の写真もありますでしょう。しかし母の実家へまでその写真をさがしもとめてゆくなどは子どもごころにもはばかられました。そうして、時どきは、産みの母の面影を育ての母に見るというよりも、二人の母はそっくりの姿、二人が一人と思うこともあるようになりました。
そんな私がまったくそっくりな双生児の娼婦にめぐりあう日があったのでありました。それも今はむかしとなりました。
このように、「隅田川」において実母—継母の関係性は、双子的なものへと統合される。事実は確定せず、宙吊りの状態にとめ置かれる。現実から遊離して、夢幻が立ち現われてくる。
前にも引用したとおり、「私」は継母に恋情に似たものを抱いている。街頭録音(インタビュー)に対し「若い子と心中したいです。」(隅田川)と答える老いた「私」の追憶のなかでは、住吉物語や謡曲隅田川に描かれる、醜かったり狂気に浸されたりする母とは対照的に、若くて美しい継母のみが思い出される。老いた継母は登場しない。
[……]今はかえって琴の方が珍しくなりましたが、町を歩いていて時たま琴を聞きますと、それが旅さきの田舎などですとなおのこと、ふと私の悪心の底に清流の水音を聞いて母のふところにかえる思いをいたします。ところが実は住吉物語の琴をただ母の琴と聞きました幼い私にとって、琴の音は逆に悪心の芽生えなのでありました。
川端康成「住吉」(昭24.4)
幼い「私」は、琴爪をつけたままの継母に、その琴爪で肌を掻いてもらう。そのとき、継母は「このお琴の爪はお姉さんのかたみよ。行平ちゃんのお母さんじゃないの。」と言う。琴爪というモノを経由し、実母と継母が重なり合い(双子化)、また道徳・倫理に背く「琴爪で掻く」という行為が淫靡な印象を与える。これを、「私」は「悪心の芽生え」とする。
『源氏物語』的な、さらに踏み込んだ言葉を使うならば近親相姦的な、“母なるもの”への恋情は倫理的に許されるものではない。「私」は自覚的である。しかしながら、実母の不在によって生涯が狂った「私」にとっては、(古美術を経由する)この“母なるもの”(それすら最後には、ただ“若さ”というものに置換されつつあるが)への恋情という幻想のみが、生に自らをとめ置いておける唯一のよすがなのであろう。
美術品、ことに古美術を見ておりますと、これを見ている時の自分だけがこの生につながっているような思いがいたします。そうでない時の自分は汚辱と悪逆と傷枯の生涯の果て、死のなかから微かに死にさからっていたに過ぎなかったような思いもいたします。
川端康成「反橋」(昭23.11)
川端康成「反橋」連作における、「あなたはどこにおいでなのでしょうか。」とはなんなのか
以上が、「隅田川」をふくめた「反橋」連作の概観である。
最後に、「隅田川」末尾を除いてくりかえされる「あなたはどこにおいでなのでしょうか。」という問いかけについて触れる。
あなたはどこにおいでなのでしょうか。
これは、誰への問いかけなのか。
ひとつは実母に対してであり、若き日の美しい継母に対してであり、統合された“母なるもの”に対してであろう。さらに言うのであれば、不在者に対してであり、死者に対してであり、過去の者たちに対してである。これらが渾然一体となって、応答すべき者としてあるのではないか。いや、応答しないからこそこの問いかけは「私」にとって、(ここからやや飛躍するが)生への、愛への祈りになるのかもしれない。
「反橋」連作に限らず、あとにつづく「みずうみ」にしても「眠れる美女」にしても「片腕」にしても、絶筆となった「たんぽぽ」にしても——そこには確固とした断絶があるからこそ、そしてただ断絶に安住するのではなく、ときには倫理を外れてまでも他者を求めようとするからこそ、川端文学の幻想はうまれてくる。
その幻想のかなしみは、“愛(かな)しみ”とも呼ぶことができ、“美”と呼ぶこともできる。
川端文学は迂遠な逆説をたどり、生がかたちづくられ、ほんとうに一瞬間のみ関係性の火花が散って、その刹那かがやくのである。
しかしながら。
そんな私がまったくそっくりな双生児の娼婦にめぐりあう日があったのでありました。それも今はむかしとなりました。
川端康成「隅田川」(昭46.11)
「隅田川」の末尾には、「あなたはどこにおいでなのでしょうか。」という問いかけがなく、「それも今はむかしとなりました。」という諦めにもとれる、さっぱりとした不穏な文言が置かれるのみである。これによりずっと架橋されてきた「私」と不在者たちを繋ぐ幻想は消滅し、過去は過去として、現実から切り離されることになる。
では、「私」は夢幻から覚め、現実を生きることにしたのか。
筆者にはそう思えない。「反橋」連作の「私」は無論、著者の川端康成ではない。ただし、邪推をどうしてもしてしまうのだ。
昭和43年のノーベル文学賞受賞によって多忙になり、肝心の創作もままならなくなっていったなかで、昭和45年11月25日に三島由紀夫が自刃する。川端は、大きな期待を寄せていた三島の死に大きく落ち込んだという。そして、昭和47年4月16日逗子マリーナの一室で、ガス毒により川端康成は自裁する。
「隅田川」は、奇しくも川端康成最後の小説となった。
